1.考える力

人間が生きると言うことは非常に難しいややこしいことである。

考えることが人間とその他の動物との大きな違いと言うらしいが,その考える能力のせいと言うかおかげと言うかそのためにこの難しさがあるのだと思う。

 

この考える力と言うものはおかしなことに人によって個人差がある。

そして、さらに滑稽なことに考える力がある方が生きる上で難しさが生じるように思う。

 

 

つまり,人間らしさを追求すればするほど人間として生きることが難しくなると言うことだ。

 

 

ここで言う難しさの意味は,単なる社会保障がなかったり食っていけなかったすると言うことではなく冒頭で使ったややこしいと言う意味である。

 

そもそもこの日本で育ち暮らしているからこそこのような考えに至り,考えることがなんのと言うことを言ってるだけに過ぎないのかもしれない。

 

しかし,それは時代や文化が決めることであり,我々に選択の余地はない。

たまたま生まれたこの時代,この文化であることまで気にしていたら何回生まれ直さないといけないか分からなく,命がいくつあっても足りない。なので、そういう疑問は面白くはあるが本質的に意味があるものではないと思う。

 

話を戻して,考える力について考えてみよう。

まず,考える力というものの定義が人類共通のものではないと思うので,色々整理していきましょう。

一般に,考える力と言えば知能であるとか学力であるとかそういうものでありそうである。

頭が良い,賢い,というのをおろかにもペーパーテストの数字で言う場合があるらしく,しかもそれがマジョリティであるらしい。

今話したい考える力というものは,そういうどうでも良いものではない。

 

そもそも,ペーパーテストなんてものはペーパーテストと言う限られた題材に対してどれだけそのためだけに努力するかどうかと言うだけのことである。

これは別に私が今まで勉強が出来ないからへりくだって言ってるわけではない。

逆に勉強にかなり努力を捧げてきて,その中でそういうことに気付いてしまい,そのときから無力感みたいなのを感じてしまった経験からものを言っている。

 

一つ勘違いしてはいけないのは,そういうくだらないことだからと言って最初から何もせずに出来ないままであることであるのはそれが一番愚かであると言うこと。

本当にくだらないと自他ともに納得出来るような結果を残せないような人がそういう評価をすべきではない。

結局私自身も中途半端な状態でそういうことに気付いてしまったので,いわゆる偏差値は中途半端なままところで止まったままである。

これを読んで,じゃあ勉強なんてくそくらえだと間違った意味で開き直るようなことはやめて欲しい。

それこそちゃんと考えて判断をしてくださいと声を大にして言いたい。

 

話を戻して,

では,今話したい考える力と言うものは何なのかと言うことである。

少なくとも世間でよく使われるようなことではないことは伝わったと思う。

 

例えば,数学において特異値分解と呼ばれるものがある。

特異値分解というものは,おそらく多くの読者は線形代数で聞いたことがありそこで使われる手法と思うだろう。

ところが,特異値分解はもっと広く一般的な関数空間に対しても有効な手法である。

例えば,ヒルベルト空間上でも線形代数と同じように適用することが出来る。

 

このぐらいにしておかないと読者がどんどん去っていくだけだと思うので,この辺で終わります。

これを読んで皆さんが何を思うか,です。

これを読んでヒルベルト空間上での特異値分解を皆さんは考えることが出来ますか?

 

こういったことが私が言いたい考える力に近いものです。

一見正体不明のわけのわからないことであっても,ちゃんと考える力があればその実体に近づくことが出来ます。

 

では,このヒルベルト空間上の特異値分解というものの本質は何であるのか?

 

まず,ヒルベルト空間と言う言葉。

考える力がない人はこの時点でもう考えることをやめてしまうでしょう。

まさしく考える力がないと言って納得のことだと思います。

少し考えればこのヒルベルト空間と言うのは,たまたまヒルベルト空間上と言っているだけで元は線形代数の話であると言っているわけですから,そこまで重要ではないと言うことが分かるはずです。

しかも,”線形代数と同じ”ように出来る。

と言ってるわけですがから,このことの本質はヒルベルト空間のことすら考える必要がないかもしれません。

なので,ヒルベルト空間の時点でわけわからんと思う人がいれば,はっきり言います。

あなたは考えることを放棄しています。

興味がないからと逃げるかもしれないですね。

それも1つの答えとしては嘘ではないと思います。

でも,考えることをやめてしまったと言う意味ではそれは真なので,結局考えていません。

 

話をまとめると,ヒルベルト空間上の特異値分解を理解するためには,ヒルベルト空間はどうでもよくてまずは線形代数特異値分解を理解すれば良い。

 

そして,次の問題特異値分解です。

特異値分解と言うのは,いわゆる普通の固有値問題よりさらに先のテクニックのようなものです。

高校で習うような固有値問題に毛が生えたようなものです(実際は,3段階ぐらい話が難しいかもしれません)。

 

ざっくり説明すると,逆作用素が求まらないときに,元々の作用素と共役作用素固有値問題を考え,さらにその固有ベクトル(関数)を用いた特異系と呼ばれるものを考えます。

その特異系をうまく使うことにより,逆作用素に当たるものを作るテクニックです。

 

今書いてみて思いましたが,もう少し簡単な例にすべきだったと少し後悔しています。

 

何が言いたいかと言うと,線形代数特異値分解が具体的に計算することが出来るわけである。

そのために,必要な固有値問題のことや多少のテクニックが必要ではあるが,今までやってきた足し算引き算のように実際に計算することが出来ます。

 

つまり,行列Aに対して特異値分解を考えれば,実際に最後まで計算出来るわけです。

 

このように実際に頭で想像出来る箇所を見つけて,そこから結果を得ようとすることが考える力です。

実際には,真のヒルベルト空間上での特異値分解線形代数で真に捉えることが出来るわけではありません。

本物を本物として理解するにはまた更なる段階を踏まえる必要があり,もちろんその努力をすれば本当に段階を落とすことなく頭の中で見える形にすることが出来ます。

 

ただ,そんなことが出来るのはほんの一部の天才だったり,本当に時間をかけて勉強してきた人だけです。

 

ここで重要なのは,多少紛いものではあるけど,だいたい同じようなものを確実に自分の頭の中で見ることが出来るように考えることです。

 

一番簡単なものは何だろう。

これなら分かりそう。

実際にやってみよう。

これなら出来た。

じゃあ次は,

 

こう言ったことを考える,考える力についてこれから色々話していきたいと思います。

 

1つの結論と言うか極論を言えば,今回のこの方法があれば究極的にはすべての物事を理解することが出来ます。

もちろん,その過程がどれだけ長く果てないものかはものによりますが,100%間違いなく誰にでもこの手順ですべてのことを理解出来ます。

 

私の経験によると考える力がある人は,誰もが独力でこのことに気付くようです。

 

さて,このようなことを気付いてしまった人間は全てが何らかの解決策を見出すことの出来ること,意味のあることであると考えます。

そして,もっと日常的なところから考える必要のないところまで考えてしまうようになります。

 

今の言い方にはどういう意味があるのだろう

その先のことまで考えているのか

責任はどうなっているのか

そもそもどういう心理状態でそのようなことを言う必然性が出るのだろうか

 

など。

これが日常や仕事やいつでもどこでも考えるようになってしまいます。

少なくとも私はそういう風になってしまいました。

 

逆に自分のすることには必ず意味があって自分で説明できるようにはもちろんしています。

 

考えて色んなことが分かるようになったとは思うけど,果たしてそれが良いことだったのか悪いことだったのか

もしかしたら,私は明日になったら生きてないかもしれませんが,

とりあえず現時点では良いとは言えないです。

 

勉強だけやっていた時期の方がもっと不自由なく生きていた気がします。

 

もちろん,ずっとこんなことばっかり考えていると精神が持ちません。

もっと単純なことだけ考えて,”休む”時間が必要です。

 

もし,同じような悩みを感じて生きていることが窮屈な人がいるなら,休む時間を作ってください。

考えることもあまりなくただひたすら長く続くRPGゲームや終わりのない育成ゲームなど

こういう一見やるだけ時間の無駄なことぐらいが休むにはちょうど良いことです。

 

うちの親は永遠に終わらないパワプロ10のペナントをもう10年以上やり続けています。

パワプロ10は2004年ぐらいに出たゲームです。

普通ペナントなんて5年もやれば飽きるものですが,うちの親はゲームの年数で言うとゆうに100年は軽く超える時間のペナントレースをプレイしています。

そのぐらいのことが一番休めるらしいです。

 

私も親を見習ってゲームをしています。

ただゲームをしているだけなのに,結構やり過ぎてしまうので普通の人からしたらかなりやりこんでしまってるようです。

私としては,休めるための行為がベースなのですが,世間の評価は冷たいです。

 

そんなどうでも良い私事はさておき

 

だいたい私がどういうことを伝えたかったかがどれほど伝わったかわかりません。

別に自分の言うことが正しいと認められたいとかそういうことはどうでも良いです。

ただ,さっきトイレに行き戻っていく過程でふと思ったことをちょっと文章として書きたいなと思っただけです。

 

特に最近生きていて窮屈なことが多く感じています。

何のために生きているのかと虚無感に包まれることが多いです。

 

ある意味ここまで頑張ってきたのに,頑張ってきた得たもののせいで今の虚無な感情があって

せっかくなら,少しでも今のこのなんとも言えない状況を何かの形で残したいと思い,少し記事を書いてみました。

 

少しと言っても時間で言うともう1時間以上ずっと文章を書いてる気がします。

途中で,ふと論文を読んでこの論文も大事だなぁと思って論文をダウンロードして印刷して眺めたりなどそういう時間も込みなので,ずっと打ち続けたわけではありません。

 

基本的には,自己満足で文章を打っているだけなので気が向いたときにまた更新するつもりです。

でも,これが最後になるかもしれません。

 

結局一番最初のトイレで思ったことは実はこの記事ではまだたどり着いていません。

導入だけで終わってしまいました。

 

そのことは多分次の記事で書くことになると思います。

無事に生きていれば書きたいと思います。

 

身寄りも何もないのでどれだけ読んでもらえるかわからないですが,質問など議論があればどんどんコメントして頂けると嬉しいです。

 

それでは,現実逃避を終えてすべき仕事に戻ろうと思います。

 

拙い長文をここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

それでは,失礼いたします。